兵庫で闘う党員からの投稿を紹介します。どのように維新がその政治を大阪から拡大させてきたのか、吉弘憲介氏の『検証 大阪維新の会――「財政ポピュリズム」の正体』を参考に考察しています。
何が人々を維新政治に向かわせたか
日本維新の会は、党勢衰退、数々の不祥事、党内の混乱、分裂を抱かえながらも自民党との連立政権入りを果たし、大阪で二度否決された副首都構想、議員定数削減を自民党につきつけ暗躍している。そんな中、吉弘憲介氏の『検証 大阪維新の会――「財政ポピュリズム」の正体』の著書を読んで、どのように大阪から維新がその政治を拡大させてきたのかを見てみようと思った。
大阪維新の会は、2010年に当時大阪府知事だった橋下徹と、大阪府府会議員だった松井一郎が、府議会の自民党会派の一部とともに会派離脱をして立ち上げた政党だった。
この本で著者は、これまでの分析や研究では、維新の政策内容が人々の意識・評価とどのように関係するのか明らかにするものは少なかったように思えると、維新の会の財政を分析する。
維新の会の主張は、中間組織を既得権益層と攻撃し、その財源を解体して多数の人々に頭割りで配り直す(高校無償化・給食費補助など)ことである。こうした現象を財政ポピュリズムと吉弘氏は位置付ける。
結党以来、維新の会の政治的波及力の強さは、大阪府知事選、大阪市長選、政令市の堺市を筆頭に、府内の首長選挙でも維新候補の勝利が急増したことに表される。22年以降、三つの首長選挙で維新候補が当選。23年統一地方選挙後には大阪府議会79議席に占める維新の会所属議員の数は55(前回より9議席増)となる。
では大阪の人たちの意識にどのような政策がどのように響いたのか。
24年5月に著者が行ったインターネット調査で、大阪府民1,000人と、大阪府民以外の全国の人々1,000人に、ガソリン税の増税、法人税の増税、財政赤字の削減等、各14の政策評価を5段階「好ましい」「わからない」「好ましくない」等で回答してもらった結果、評価が異なるのは回答項目の「生活保護を増やす」と、「貧困世帯の児童に限って公的支援を行う」という項目についてで、いずれも大阪の方が評価の度合いが「好ましくない」と低くなっている。「財政赤字の削減」と「金融所得課税の増税」についても、大阪と全国とで評価の構成が異なっていて、大阪の方が「好ましくない」と回答する割合が多かった。
大阪府民は日本全国の人々と同じように、消費税、ガソリン税の増税を嫌い、公務員を減らすべきだと考え、高齢者向け社会保障の増加は問題だと感じているということであると、筆者は言う。回答項目の多くで大阪府民の政策選好は全国の人々と重なっている。大阪維新の主導政策は大阪以外でも受け入れられる可能性があるということだという。
調査において、支持政党に関する質問では、全国では日本維新の会、大阪維新の会と回答したのは5・8%、大阪府内に限ると26・3%が維新の会を支持している。支持層は著者の調査によると、高所得者や低所得者に偏っているわけではなく普通の人々だと結論づけている。
維新の政策の「身を切る改革」の最初の標的となったのは大阪市の公務員組織で、もう一つの矛先は外郭団体への予算である。
たとえば、大阪府の「政治的中立を求める組織的活動の制限に関する」条例、「労使関係の職員団体との交渉」の条例、「職員の政治活動の制限に関する」条例が2014年4月に施行されている。(大阪市でも同様の条例が2012年に制定される)その中で組合活動に関する実名記載でのアンケート調査の命令、団体交渉の拒否など、当然の紛糾を招き、市職員組合が不当労働行為として提訴した。2016年には、大阪高裁判決で市職労組が勝利を勝ち取っている。
また、教育でいえば日の丸・君が代統制。(これについては私たちの仲間も闘ってきた)また、高校の統廃合が進み、高校のない市町が出てきた。そして12の大阪市立特別支援学校を府に移管し、教材費の削減や肢体不自由生徒の補助として特別措置していたスタッフの数が削減されるなど、市が行ってきた予算措置が府の水準にあわせる形で削減される。マジョリティ向けの教育は投資価値の側面から拡充し、歴史的に形成されてきたマイノリティに対する措置はひっそりと削減されていく。
維新のような政党が出てきた背景について、つぎのように吉弘氏は述べている。
過去の大阪市政ではたとえば13代市長、中馬馨(1963~71年)は、周辺の田園地域を市域に編入し都市開発を行い、その利益をテコに公共サービスを拡充していった。しかしバブル崩壊後、自治体主導の土地開発が市財政の桎梏となり、都市経営が破綻していった。関市長(2003年~07年)の時代には、それまでの、累積公債問題、市役所の不正入札、公務員不祥事など数々の問題を受け、都市経営は、財政健全化と行政改革指向へと変わっていく。以降、平松市長(2007年~11年)、大阪維新の会にも一定ひきつがれてきたのだ、とそしてバブル崩壊後の傷を修復すべく小さな政府指向へとつながっていった。
大阪維新の会の財政運営について、吉弘氏は五つの論点からの検証でこのようにまとめている。①公務員改革による人件費と公務員数の大幅削減。②外郭団体の削減、委託事業の民間部門への割り当て。③地方債の返済、新規の市債発行の抑制、債務総額の減少。④教育費における頭割りの普遍主義(マジョリティに配分する)、社会保障の緩やかな削減。⑤都市中心部開発による投資経費の増大(コロナ禍においても同傾向)。
しかし維新の進める「身を切る改革」は、「小さな政府」には結びつかず、債務の縮小を急速に進める均衡財政主義的な性格を持った。大阪維新の会が行う都市経営の効果は、外国人観光客の増加や都市中心部の地価上昇に象徴されたのだが、中長期的な観光需要の掘り起こしの、万博、IR事業では既に大規模な財政支出がなされている。
既存の公共サービスを解体しその原資を配り直す財政ポピュリズムは、自己利益の最大化を望む人々には響いたのだが、しかしたとえば教育で言えば、自分の子供に対する教育だけを望んで、公的な教育サービスに対する負担を渋れば、それは回り回って全体で得られたはずの利益を損なってしまう。個人の利益を乗り越えて、社会全体の価値を実現しようとする行為、そのためにこそ財政があるのだ、と吉弘氏は強調する。そして社会で価値を共有して、共同の利益を共同の負担で実現する必要性を強調したい、と言っている。
吉弘氏の考え方は体制内理論かも知れないが、私はその通りだと思う(富裕者への累進課税が必要になるし、階級的な政策として労働者の闘いでこそ勝ち取れるのであるが)。
兵庫の再選・斎藤県政も構図は維新政治と同じだと思う。高校無償化、天下り規制、自らの給与削減など、根本的な財政再建ではない政策で人々を幻惑し、今や自らの数々の罪悪を払拭すべく自己保身に汲々とする斎藤知事はN党立花のような悪党と結び付くしかないのだと思う。 (兵庫・A)