『海つばめ』1406号で、<中国共産党100年・習近平演説>の論評を掲載しましたが、紙面の都合で「日本共産党〝批判〟」の部分を省略しました。ここに追加し、掲載します。

 

 

<中国共産党100年・習近平演説>

帝国主義大国としての中国を誇示

――だが、「隠すより露わるるはなし」

 

 71日、習近平は天安門広場を埋め尽くした7万人超の動員者を前に大演説をぶった。我々は、その演説内容を分析することによって中国の現段階とその矛盾を解明しなければならない。

 

◇人民服を着て登場

 

 習近平は背広姿の他の幹部たちを尻目に唯一人、人民服を着て登場した。自らを毛沢東になぞらえ、毛沢東の後継者であることを印象づける演出である。だが、こんな見えすいた演出で権威を高めようとすること自体が習近平の立場の危うさを象徴している。

 

 他にどんなことがあったとしても、習近平は、自らの本性を毛沢東になぞらえることはできない。何故なら、我々が50年近く前に明らかにしたように、毛沢東は資本主義的発展が遅れた中国において農民に依拠して一気に共産主義社会に移行できるかに主張し実践した(それ故に破綻した)農民的〝共産主義〟――そこでは「平等」が本質的な構成要素だった――の体現者であったのに対し(『科学的共産主義研究』31号参照)、習近平は国家資本主義、それも帝国主義化したブルジョア的体制の代表だからである。

 

 習近平は、演説の冒頭、中国は「小康社会」(大衆の生活がややゆとりある社会)を達成し、「社会主義現代化強国の全面的な実現」という次の(建国100年への)目標に向かって進んでいると宣言した(演説全文は、日本経済新聞デジタル版710日付参照)。

 

◇経済発展と強国化を誇示

 

 さらに、新中国と党の歴史を振り返り、現段階を次のように規定した――「揺るぎなく改革開放を推進し、各方面からのリスクや挑戦に打ち勝ち、中国の特色ある社会主義を創り、堅持し、守り、発展させ、高度に集中した計画経済体制から活力に満ちた社会主義市場経済体制への歴史的転換を実現した」。

 

 ここには、中国が1978年末、鄧小平の提唱により改革開放路線に転じ、外国資本の導入や民営企業の設立など〝自由化〟――国家資本主義の枠内での――に踏み切ったことが経済発展をもたらした歴史的現実が反映されている。

 

 習近平が決して語らないのは、メダルの裏側、即ち農村出身の何億人もの「農民工」を劣悪な環境で徹底的に搾取し教育や医療・福祉の機会を奪い排除してきた露骨な差別と圧迫の体制、都市と農村、都市住民と農民間の貧富の格差の絶望的な拡大、地方政府が農民の土地を奪い取り、私腹を肥やし農民の抗議行動を弾圧してきた事実、少数民族に対する容赦ない抑圧・弾圧・搾取(新疆ウイグル地区に象徴される)等々である。

 

 労働者、農民に対する激烈な搾取と抑圧こそが中国の経済発展を可能にしたというこの現実を習近平は決して認めることができないのである。

 

 習近平はなんとしてでもこの〝断絶〟を、階級分裂と対立を覆い隠さなければならない。如何にしてか。

 

◇「中華民族の偉大な復興」を鼓吹

 

 習近平の演説に頻出するのは「中華民族の偉大な復興」というスローガンで、主要な段落は、このフレーズで始まり、あるいは締めくくられる――ざっと数えて20回。

 

 冒頭の呼びかけ部分は、これから「中華民族の偉大な復興の明るい未来を展望する」で締めくくられ、1840年のアヘン戦争以来の中国の歴史を振り返る段落では、「それ以来、中華民族の偉大な復興を実現することは、中国人民と中華民族の最も偉大な夢となった」で終わる。

 

 さらに「この100年来、中国共産党が人民を束ね率いて行った全ての奮闘、全ての犠牲、全ての創造はひとつのテーマに集結する。それは中華民族の偉大な復興を実現するということだ」。

 

 他にも「中華民族の偉大な栄光」、「中華民族は世界における偉大な民族」なども頻出する。

 

 その延長上に「我々をいじめ、服従させ、奴隷にしようとする外国勢力を中国人民は決して許さない。妄想した者は14億の中国人民が血と肉で築いた鋼の長城にぶつかり血を流すことになる」という〝刺激的な〟恫喝が来る。

 

 つまりは、愛国主義、民族主義を鼓吹し、そうすることによって体制の矛盾を隠蔽し、人々の目をそらし、権力を――共産党の特権と権益を――維持しようというのだ。その悪しき意図を補強するために「マルクス主義」や「社会主義」が所々にちりばめられるといった具合である。

 

◇「人民」連発の意味

 

 習近平演説のもう一つのキーワードは「人民」である。中国研究者の興梠一郎氏(神田外語大学教授)は、「人民」は今回の演説で約80回登場と指摘している(日経ビジネス電子版、75日)。

 愛国主義、民族主義の鼓吹は〝諸刃の剣〟である。共産党が経済成長を維持できず、国民の生活を向上させることができなければ、あるいは他国との帝国主義的対立で後れを取れば、共産党は国民の利益に反し、〝国賊〟に転じるのだ。また、愛国主義が暴走し不買運動や打ち壊しとなって爆発して共産党政権を窮地に追い込むだろう(これまでも何度かあったように)。習近平が「人民」を〝乱発〟したのは、共産党と「人民」の乖離、敵対を覆い隠すためである。

 

 習近平の前任者(胡錦濤)時代には、しばしば中国全土で農民の抗議行動があったことが報じられていたが、習近平はこうした行動を徹底した弾圧によって封じ込めてきた。そのために、「人民」の不満の声や叫びが中央に届かず、逆に習近平は絶えず人民の不満や怒りを気にせざるをえない。

 〝臭いものに蓋〟をすれば、表面は平穏のように見えても、蓋の下では諸々の要素が渦巻き、絡まり合い、発酵し、爆発するだろう。習近平が「人民」を恐れる理由は有り余るほどあるのだ。

 

 習近平が中国共産党は、「自らのいかなる特殊な利益もなく、いかなる利害集団、いかなる利権団体、いかなる特権階級の利益も代表しない」と言ったのは、逆に「人民」が共産党を「特権階級」と見なしていると感じていること、民心が共産党を離れつつあることを意識せざるをえないからであろう。

 

 我々は、中国の体制とその内的矛盾の深化に細心の注意を払い、中国の労働者階級との連帯の道を模索していかなければならない。

 

日本共産党の〝批判〟

 

 最後に、日本共産党の立場に一言。志位委員長は、記者団の質問に次のように答えた――「中国による東シナ海や南シナ海での覇権主義的行動、香港やウィグルでの人権侵害は、社会主義とは無縁であり、共産党の名に値しない。国際社会が中国に対し『国際法を守れ』と求めていくことが大切だ」(「赤旗」電子版、7月2日)。

 

 「社会主義とは無縁」で「共産党の名に値しない」――もっともらしい〝批判〟だ。しかし、つい最近まで、中国を「社会主義をめざす」国と評価し、持ち上げてきたのはどこの誰だったのか、「社会主義」国でないとすれば、いかなる体制の国なのか――共産党は決して語らない、語ることができない。

 

 「共産党の名に値しない」というが、日本共産党も「社会主義市場経済」という中国共産党と同じスローガンを掲げているのではないのか。中国共産党が「共産党の名に値しない」というなら、日本共産党も同様ではないのか。「語るに落ちた」とはこのことである。       (鈴木)