資本論学習会を行う仲間からの投稿を紹介します。資本論第3巻第2篇「利潤の平均利潤への転化」10章「競争による一般的利潤率の平均化」について、大谷禎之介氏の「一般的利潤率」の形成の「説明」を検討しています。
恣意的な表式で「一般的利潤率」の形成を「説明」する大谷氏
『資本論』でのマルクスの分析・考察は、価値通りの交換から出発して、価値概念と剰余価値、したがって価値法則を科学的に論証してきた。しかし、価値通りの交換によれば、諸資本は資本の構成の相違によって違った利潤(剰余価値)を取得することになるが、現実の資本主義的生産社会では、どの生産部門の資本も同じ大きさの利潤(率)をあげている。この現実を価値法則と矛盾することなく科学的に解明することが『資本論』第3巻の主要な課題ともなっていた(第3巻「序文」参照)。
筆者が参加する『資本論』学習会は、まさにこの課題に応える第2篇「利潤の平均利潤への転化」の10章「競争による一般的利潤率の平均化」の検討が最後の数段落を残すのみとなった。次回で10章を終える締め括りとして、報告を担当していたMさんから、大谷禎之介氏の『図解・社会経済学』からの《一回の資本の移動で平均利潤が形成される表式》のコピーが参考資料として配布され、検討することになった。
この表式は煩雑で、読み下すのも大変なこともあり、ここでは簡略化して紹介する。
有機的構成が高い生産部門Ⅰ(大工業部門)から最も低いⅤ部門(零細軽工業部門)まで五つの生産部門の費用価格(c+v)=投下資本は同じ100でも、価値通りでの利潤率はⅠの5%からⅤの35%と違いがあるが、それぞれの生産部門の需給が一致している所から出発している。
ここから大谷氏は利潤率の高い部門へ資本が移動すると(Ⅰから20、Ⅱから10の30がⅣへ10、Ⅴへ20移動する)、需給関係が変化して移動元では「ⅠおよびⅡの商品にたいする需要がそれぞれ9.11および7.08だけ減退し、〔移動先の〕ⅣおよびⅤの商品にたいする需要がそれぞれで7.08および9.11だけ増大したとしよう」と突然任意だとする数字を出し、実現利潤率が全部門で21.4%になるという表式なのだ。実は、この需給関係の小数点以下2桁の増減は、任意の数字ではなく移動先で需給を一致させる作為的な数字だったのだ!?
3巻9章では、平均利潤率と生産価格の概念が、需給関係が商品価格に作用しない均衡状態において導き出された。10章ではその現実のメカニズムが追究され、市場における生産者の商品価格=市場価格を巡る競争として現出するが、競争は「一つの平均水準に落ち着かせる」がこの「平均水準を規定するための要素は競争には絶対にない」と、剰余価値の限界、価値法則の支配という限界の中で需要供給などの影響という具体的な事情も視野に入れ、資本は利潤率の低い生産部門から利潤率のより高い部門に移動する。この資本の不断の移動による諸商品価格の変動を通じて、一般的利潤率を獲得できる生産価格に諸商品の価格を導いていくというのがマルクスの見解なのだ。
大谷氏も、資本の移動による需給関係の変動が諸商品の価格を「一般的利潤率を獲得できる生産価格へと導く」と述べるが、資本の移動には、より大きな剰余価値を社会的総剰余価値から分け前として獲得できる限りで移動するのである。大谷氏の出発点の表式で有機的構成の低いⅤの(零細軽工業部門だが利潤率は35%)の部門に、有機的構成は高いが5%の利潤率しかない大工業部門であるⅠ部門の資本が移動すると「想定する」!? また100の資本で需要を満たしていたⅠ部門で20の資本が流出すれば、残った80の資本では需要が増えて商品価格は騰貴するはずだが、大谷氏は需要は-9.11%、商品価格も下がると「想定する」!? 移動先のⅤの零細軽工業部門でも、競争相手が20も増えて供給過多となり商品価格は暴落するはずだが、表式では逆に騰貴すると「想定する」!? 実はそれは、大谷氏が設定した一般的利潤率と生産価格という「結果」から逆算して操作したからである!?
マルクスは、需給関係の作用を排除して導き出すという方法(下向の道)による一般的利潤率と生産価格の最も抽象的で一般的な概念規定から、資本主義の現実の具体的な諸契機の問題へと分析と認識を深めていく方法(上向の道)によって科学的に正しい分析をおこなっている。しかし大谷氏は、資本の移動による需給関係と商品価格の変動という「上向の道」から出発するものの、利潤獲得を至上命題とする資本の運動からはおよそあり得ない「想定」と、「結果」から逆算した恣意的な数字で一般的利潤率と生産価格へと導かれると述べているのだ。
こうした指摘にM氏は、「大谷氏の表式を絶対化するつもりはない。資本主義の現実のメカニズムを分析する手法の試論として紹介した」と弁解するしかなかった。後日のメールでは、「マルクスの記述に直接対応しようとして、かなり強引な辻褄合わせになっているような気がします」と書いてきた。
『資本論』を曲解する多くの本を出してきた不破哲三に、資料提供で協力してきた共産党系学者の大谷氏の「説明」に対するマルクスの、〝厳しい批判〟を紹介する。
「諸商品の価値どおりの交換または販売は、合理的なものであり、諸商品の均衡の自然的法則である。この法則から出発して偏差を説明するべきであって、逆に偏差から法則そのものを説明してはならないのである」(『資本論』3巻10章、原頁197) (Y)