(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅳ》(宮本 博)
──追記──
僕がネットなどで手にしたグローバル・ノースの日本を含む西側諸国の主流メディアでは絶対に報道されていない情報がある。これについて少し述べたい。
10月7日当日ハマスの戦闘員の1人が「越境攻撃の目的」――今回、なぜ「人質を取ったのか」ということ――について以下のような手記を残している。
「(イスラエル領内にある)キブツを襲撃し、住民を人質にすることについては、当然、異論もあった。ガザ地区を縁取るパレスチナの村々の土地の上に、その住民たちをガザに放逐したのちに建設されたこれらのキブツは、イスラエル軍のガザ地上進攻に際して、その前哨基地として使われる準軍事施設であり、住民たちは武装しており、多くは戦闘訓練を受けた予備役の兵士だ。だが、そうだとしても、それを襲撃し、戦闘服を着ていない彼らを人質にとることは国際人道法違反だ。しかし、それを戦争犯罪だと批判するなら、世界よ、どうか、教えてほしい。
イスラエルの刑務所に、ただ占領の暴力に抵抗したがために何カ月も、何年も、何十年も収監されている5000人ものパレスチナ人の父親たち、母親たち、息子たち、娘たちを解放するのに、ほかにどのような手立てがあるというのか。やむを得ず人質を取る。しかし、彼らには絶対に危害をくわえない。彼らはやがてぼくたちの隣人に、友人に―――もしかしたら恋人に―――なる者たちだ。ぼくたちが撒くのは憎しみの種ではなく、共生の種、友情の種なのだから」(手記の一部)。
それを証明するように、キブツで人質になったが生還したヤスミン・ポラットは、「テロリストたち」が終始、人質を人道的に遇していたと証言している。またガザに連行された人質たちを前にハマスの軍事部門のトップ、ヤヒヤ・シンワルはヘブライ語で「絶対に危害を加えない」旨、誓ったという。
人質交換において、ガザから解放される人質はパレスチナ人戦闘員と握手して別れたり、アラビア語で「シュクラン(ありがとう)」と言ったり、また、幼い娘と人質になったいた母親は、娘を大切に扱ってくれたことに対してヘブライ語でハマスに感謝の手紙を書いていることからも、この誓約が守られていることが分かる。
10月7日の出来事はイスラエル政府および軍により「ハマスの残忍なテロ」として世界に喧伝され、「自衛権の権利の行使」という直後から始まったイスラエルによる未曾有の攻撃は、時をおかずガザのパレスチナ人に対するジェノサイドとなった。「ハマスの残忍なテロ」は、このジェノサイドを下支えする言説的基盤を提供した。
しかし、この数か月のあいだに次々と明らかになった諸事実は、そのようなものとして喧伝された出来事の多くは事実無根であることを示唆している【注:野外音楽祭で起きたとされる集団レイプも、イスラエル警察は一件も指摘していない。目撃者証言が多々「引用」されるものの、被害者はもとより、目撃者による直接証言も存在しなかった(その後、『ニューヨークタイムズ』紙が目撃者の名前入りで証言を報道したが、証言を裏付ける具体的事実は上がっていない)。それが実際に起きたと信じるに足る証拠はいまだ何ひとつ提示されていないのが実情だ】。
10月7日に関して確実な事実として言えるのは、この奇襲攻撃でイスラエル側に1000人以上の犠牲者が出たことだ【注:当初、1400人と発表された死者数はその後、1200人下方修正され(200人はパレスチナ戦闘員であることが判明したため)、その後さらに、1147人に修正された(理由は不明)。ここにはイスラエル側の数百人の警官や戦闘員も含まれている】。
イスラエルのハアレツ紙によれば、身元が判明している902名のイスラエル側の死者のうち民間人は556名、これら民間人には、生還者の証言や証拠から、ガザの戦闘員によって殺された者もたしかに存在する一方、イスラエル軍が、人質として捕われている者たちが中にいるキブツの住宅を砲撃したり、人質・捕虜としてガザに連行される途上の車両を攻撃用アパッチ・ヘリからのミサイル攻撃したりしたことで殺された者たちも多数含まれていることが分かっている。
その内訳は不明である。犠牲者の親族は、愛する家族がこの日、どこで、誰によって、どのように殺されたのか明らかにすることをイスラエル政府に求めているが、政府は依然、その公表を拒んでいる。公表すると都合の悪い理由があるからだと考えるのが自然だろう。
イスラエル政府が情報公開しない以上、10月7日の出来事の全容は不明だが、少なくとも言えることは、頭を刎ねられた40人の赤ん坊(あるいは、オーブンで焼かれた、あるいは洗濯紐に吊るされている赤ん坊)がでっち上げであったのと同様、イスラエル当局発表の「ハマスの残忍なテロ」なるものも捏造であるということだ。
襲撃された野外音楽祭は当初、前日で終了予定で、土曜日まで延期されることは直前になって決定されたのでガザの戦闘員にとっては想定外だったことが判明している。また、イスラエル軍の攻撃によって、人質や捕虜が多数殺害され、それが自分たちの「残忍なテロ」の証拠されることや、戦闘員の越境に続いてガザから飛び出した非戦闘員がキブツで狼藉を働くということも想定外であったという。
はじめに記したハマスの戦闘員の手記は次のような文で終わっている、『白人国家だった南アフリカが虹の国になったように、川から海まで、パレスチナも虹の国になる。この土地の上に、ぼくたちは未来を植える。ああ、母さん、故郷が見えるよ。朝日に照らされたぼくたちの故郷が。ぼくらの娘たち、息子たちがやがて還る、虹色の故郷が』。僕たちが普通TVや新聞などの主流メディアから得る情報はかなり加工され、ブルジョアジーの代弁者である権力者の意図を忖度した情報、都合の悪いものが隠され偏向した一方的な情報だということを改めて確認しなければならないと僕は思っている。
(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本 博)